ピックアップレーサー
ピックアップレーサー


2005年11月に徳山でデビューの97期
2005年11月の徳山デビュー節3走目に水神祭
2009年2月に徳山で初優勝 通算優勝は34回
2010年1月に浜名湖新鋭王座決定戦でG1戦初出場
2022年10月に常滑全日本選手権(ダービー)でSG戦初出場
1984年10月30日生まれ 身長165cm 体重54kg 血液型B型 (旧姓堀本)

養成所で大けがを経験し97期に編入
選手になったきっかけは父の勧めでした。高校時代(甲子園制覇もある柳井高校)、野球をやっていたんですが、部活が終わった瞬間に「なれ」と言われて。96期で入所したんですが、卒業間近の1月に摸擬レースで自分が転覆して後続艇が乗り上げて左手の指4本を骨折。腱も切れていたりして。5月から97期に編入しました。1期下ってあんまり関わりがないんで最初は不安もあったけど、そんな不安はあっという間に吹き飛びました。97期はみんな仲が良かったし、それぞれに個性がありますしね。師匠は清水攻二さんです。同じ岩国市ですね。
2010年に結婚して婿養子に入ったので名字が堀本から柳生に変わりました。戸籍上もそうですが、同時に選手の登録名も変えました。なぜなら、自分に子供ができた時に子供と同じ名字で走りたいという気持ちがあったので。あの歴史上でも有名ないわゆる柳生一族の末裔(まつえい)です。うちは普通に一般家庭ですけどね。

飛躍のきっかけは白井英治との交流
選手生活を振り返ってみると、僕が考えるイメージとは違っていました。全く違いましたね。本当はもっとやれるのかなと思っていたので。今にして思えば若い頃は考え方とかが子供だった。のらりくらりやってました。スーパー甘かった。
考え方が変わったのは白井英治さんと一緒に走る機会が増えてから。A1級になってG1を走り出してからです。それまではゆっくり話す機会があまりなくて。昔の自分はアホでしたね。全てにおいてダメ。何にも分かってなかったというか。自分なりに一生懸命やっていたつもりだったんですが、本当に一生懸命だったんかと言われると…。昔の自分に「何のために仕事をしよるんか!」と言いたいくらいです。
同期ではまず達也(山口)が出世しましたかね。それに続いたのが西山貴浩かな。刺激になったというか、すごいなあというか。自分も負けじと…と思っていたとは思いますが、本気で思っていたかと言われるとどうかな。思っても行動が伴ってなかったですね。

イメージ通りに走れる下関水面は大好物
今後の目標?よく聞かれるんですが、目の前の1走に全力を尽くすだけなんですよね。それで何か狙えたら、狙おうみたいな。先の目標は考えていないですね。目標は軽々しく言えたもんじゃないです。とにかく1走1走ですよ。
徳山と下関の地元意識はどちらも同じですかね。最近は下関での優勝が増えてますけど、呼ばれることが多いってのもあります。ただ、水面は下関が大好物というか全国でも一番好きです。とにかく乗りやすいのでイメージ通りのレースができるんですよね。